人生の終わりを想像する

これまで、何度「自分の終わり」をイメージしましたか?ネガティブな連想ではなく、現実的に人生を設計するために必要不可欠な自問だと思うので、この瞬間、「自分の余生や死」を一緒に考えれたらいいなあと思います。今日はちょっと真面目です(笑)  

私は、事あるごとに自分の終わりを考える人です。認知症のおばあちゃんと一緒に住んでいた時は、自分もしわくちゃになり、どこで、誰と生活してるんだろう?とか。無口なおじいちゃんが寝たきりになって、何年もテレビを見ているのを、眺めた時に、おじいちゃんは今何を思うんだろう?とか。自分の体にシコリが見つかった時は、やっぱり、私も人間で、死からは、逃げれないなあーとか。出産した後は、こんなに疲労困憊で痛くても人間は死なないんだ、じゃ死ぬってどんだけ苦しいの?とか。NEWSで取り上げられている事件を見た時、突然こんな事故・事件に巻き込まれたら、さぞ、怖かっただろう、痛かっただろうと思います。残された遺族のコトを考えたら、時が止まることは察することができます。この瞬間でさえも、生涯の終わりに一秒一秒近づいていってます。この「時間」というのは、良くも悪くも、止まらない、止めることのできないことで、生きるということは必ずくる終わりの準備をしていることになります。そこで、どんなに年を重ねるか、どんな最後にするかをより具体的に想像して行動しておくと、「こんなはずじゃなかった」「どこで間違えたんだ?」を避けれる気がします。私も30代半ば、より具体的にできているのか?は不安です。

目指すゴール地点から逆算して段取りを考える、は仕事だったら、しているけど、人生になると漠然になる方のために。

イメージしやすい2つの質問~

・「死後、なんていわれたいか?」

わたしは、「みやこと出会えて良かった。」です。家族には、「みやこの家族で良かった。」です。私と出会って、私が自分の人生をかけてしてきたことや、発信したことがあなたの人生と交じり合えたら、私の人生アッパレです。

・「ミッションステートメント(人生のキャチコピー)は何か?」

本音トークで美味しい食事を楽しみたい!です。

わたしたちが、おばあちゃん、おじいちゃんになったら、今のやっていることを、あーだった、こうだった。と懐かしんで、全部が色あせることのない感情を思い出す会話のネタにしたいです。老後は、若いときに時間や、出来事を共有した人と話せる会話を、面白がれる平和な余生がいいなぁって思います。またその会話が若い子たちの生きるヒントになれば、よりいいなぁと思います。今は、すべての答えを焦らないように、目先の利益だけに心を奪われないように気を付けたいです。「出来事の答えはひとつじゃない。答え合わせは焦らない。いつか答えは見つけられる。」と焦らず前進しています。

人生は振り返るとあっという間ってよくききますが、人生の合間や余生に、私は夫の料理で家族や友人と美味しい食事をしながら、おしゃべりを楽しみたいです。だから、今、その人生を振り返れるネタ作りと一緒に語り合える友達作りをしています。