
私たちの会話は常に、本音と建前が交差します。言い換えると、自分らしくとリアル(現実)を無意識に使い分けています。
自分らしくとなると、自分本位/主体的に考えて、その日の調子によって出てくる言葉も違いますし、一分後には考えが変わる展開になるかもしれません。そんな流動的な気持ちを尻目に、厳しいリアル(現実)が存在します。
私にとってのリアル(現実)の場面の一部を書き出してみました。
・昭和的しがらみがちらつくーーー
・誰が決めたかわからないルールをいつまでも守ってるーーー
・意見の言い合えない会議をまだしているーーー
・毎年更新しない決まり事を更新しているーーー
・論破だけをしたい人ーーー
・認めてくれない人の言葉が彷徨うーーー
・価値観の押しつけーーー
・理不尽な要求ーーー
・応援する気のない人の応援ーーー
・八つ当たりーーー
・向上心のない大人ーーー
・上下社会ーーー
・教育・育成に無関心な組織の根っこーーー
・大人もしているいじめや差別ーーー
・うわさは3日でまわる小さな世界ーーー
・自由な発言が忌み嫌われるーーー
・進化/変化をめんどくさがられるーーー
・放置された未来に無力感を感じるーーー
・閉鎖的な環境になれてしまうーーー
などなど、人工的な社会を私は「リアル(現実)」と呼んでいます。結論、「リアル」は変わらなくて、無くならなくて、逃げられません。
自分らしく生きたい人には「リアル」が取り巻き、時には純粋な気持ちはへし折られます。
でも、そんな社会で自分らしくいつづけるために、病まなくてもいいように、がっかりしなくてもいいように、人生の最後まで自分の足で歩けるように(メンタル的にも)環境を創っています。
歩コミが創り出す環境はそんな「リアル」と上手に付き合えるように自分を鍛える場にもなっているのかなっと思いました。住んでいる地域の習性を知り、空気感を知り、人となりを知り、柔軟性を身に着けること、変わらない「リアル」を理解して、自分らしいやり方、生き方を見つけてこれました。
歩コミを受け入れてくれている方は、個々の自由な価値観を尊重できるひとたちに限られてきました。そんなみんなと、本音で話し合う人たちのたまり場へと発展していったらいいなぁと思います。
一人で立ち向かうと、息切れすることが、みんなとワイワイしながらすると、笑い話になって、エネルギーにかわってきました。いままでも、これからも、みんなに感謝です。
歩コミはゆるーい環境なんだけど、一生懸命~。